2025.4
保育園の園庭に、赤土がいれられました。
子どもたちが思い思いに、形づくることができるように。
水を流して、どろどろの心地よい感触をたのしめるように。
思い切り、すべれるように。
「ヒトが人間になる」(著者 斎藤公子)
子どもと土
“水”の世界に浸りきって少したつと、子どもは“土”とのつきあいに終始する時代をむかえる。
“土”こそ人間に文化をもたらしたもの。
何百万年もの長い時間をかけて人間は発達しつづけ、
ついに1万年まえごろ出現した現代の“ヒト”・人間は、
土に水をひいて作物をつくることをはじめた。
そのころから土をこね、火で焼いて、水をはこんだり、作物の種子を貯蔵したり、
水や食物を食したりする時に使う器をつくるようになった。
その歴史をあたかも反復するかのごとく、ことばをもつようになった2歳前後から、
子どもは土との生活にあけくれる。
“土”には“水”が必要である。土をたがやすにも水がなければできないし、また、作物は育たない。
土をこねて器をつくるにも水が必要である。
土と水さえあれば、この年齢の子どもたちは満足である。
ここではもう“協働”の芽ばえがみられる。
友達の模倣をして土をこねる子ども、お互いに話しかけながら土を掘るこども、
友だちと一緒におもたい水をはこぶ子ども、また、掘る子。
水をはこぶ子といった“分業”もみられる。道具をたくみにつかうこともおぼえていく。
こんなに夢中になってあそべる教材はほかにないのではと思う。
夏はすずしい木かげに砂や土をおいておく必要があり、
おだんごやケーキをのせる台が必要である。
年齢が高くなれば、スケールの大きい遊びに発展できるような広さも必要である。
子どもと“土”とのふれあいを不潔とみる人が子どもを育てることくらい、
子どもにとって不幸なことはない。
“不潔”ということばは子どもにとって大敵である。
太陽にさらされている時間が長い場所の土は不潔ではない。
太陽は人間に害を与える菌だけを殺してくれるが、
消毒はわれわれにとってたいせつな菌までころしてしまう。