子どもと一緒に自然のなかに出かけていくと
「この光景は、もう二度と見ることができないのではないか」
という気持ちになる瞬間があります。
秋、塔の岳への山道で、優しい秋風に吹かれてパラパラと木の葉が
ふりそそぎます。子どもたちは、
「風の神さまが、ふらせてくれた。」
とうれしい声をあげ、木を見あげます。この木々は私たちの生まれる前からこの場所に根をはり、歴史を見届けてきました。
まるで、自然は、子どもたちのことを待っていてくれ、見ていてくれているのではないかという気持ちになるのです。
私たちが自然のなかへではなく、自然が私たちを迎え入れてくれている、そんな風に感じます。
そして、子どものセンス・オブ・ワンダー(自然の不思議に目をみはる感性)に、一緒にいる大人も喜びをともに感じるのです。
「ここにきてよかったね。」「また来ようね。」
その時は、また違う自然の不思議を子どもたちに与えてくれるのだと思います。
自然を畏れ、不思議に思う感受性や、人間の存在を超えたものを認識する心を持ち、
強くしていくことには、いったいどんな価値があるのでしょうか。
自然界の探求は、黄金の子ども時代を、楽しく過ごすための方法に過ぎないのでしょうか。
それとも、そこにはもっと深いなにかがあるのでしょうか。
もっとずっと深いなにか、とても重要で、永続するなにかがあると、私は確信しています。
科学者であろうがなかろうが、この地球の美と不思議のなかに住まうものは、決して一人きりになることはないし、
人生にくたびれることもないのです。
(中略)
夜はやがて明け、冬の後にはまた春が来る
繰り返す自然のリフレイン(反復)には、人を果てなく癒す力があります。
(センス・オブ・ワンダー レイチェルカーソン書籍より)