子どもと本【幼児期のお話しについて】

2025.1

「なぜ、文字を就学前に教えないほうが良いのですか?」

そんな風に思ったことはないでしょうか。

松岡享子さんがこんな風に、語っています。

「そうだな」と私は思いますので、引用させていただきます。

字が読めないことは力

字が読める、字をおぼえるということについて、私がふだん感じていることをお話ししておきましょう。

第一章で、字をおぼえるのは遅いほうが良いと思うと申し上げましたが、それは、子どもに本を読んでやっていると、

字が読めないということは力だと思えるからです。

この表現が適当でないとすれば、字の読めない子は、字が読めるようになった子のもっていない能力をもっている、といったらよいでしょうか。

たとえば一冊の絵本を子どもの前で開いたとしましょう。

それは、ただの絵なのですが、読み手であるわたしが「むかし、ある森の中にひとりのおばあさんがすんでいました。」

と読むと、たちまち絵の中の世界がたちあがり、森を舞台におばあさんが動きはじめる、という感じがすることがあるのです。

これは、まだ字を読めない幼い子に読んでやっているときにしか起こらないふしぎな感じです。

ことばにはなにかを生起させる力がありますが、字が読めない子どもは、その力を信じているように見えます。

少し大げさな表現を使えば、ことばに対する畏敬の念があるのです。それが、字をおぼえると急速に消えていきます。

3,4歳で「もう自分で読めるから」と文字をたどっている子と、読み手のことばに聞き入っている子とでは、物語への入り込み方の深さの違いは歴然としています。

ことばをこころに刻む能力も、文字をおぼえると同時に低下します。

幼い子に本を読んでやっているとき、ちょっとした読み間違いを即座に指摘された経験はありませんか。

一度しか読んでやっていないのに、と驚く人は多いのです。

人は、従来ことばを記憶する能力があるのです。

(中略)

ことばをこころに刻む力、ことばに対する信頼、想像力を目いっぱい伸ばしてことばの奥に世界を創り出す力なのです。

 

この文章の最後に、学校へ行くまっでに、人より半年、一年ほど字をおぼえるのが早かったり、遅かったりすることが、十年後にどれほどの差を生むでしょうか。

耳からのことばをまず蓄えるべき幼児期に、無理に字を教え込もうとすることは、けっして賢明なことではないと思います。

と結んであります。

 

子どもは、お話が大好きです。私は、子どもたちに、就学後もたくさんの本と出会って欲しいと願っています。

本が好きな子に。今は、スマホでも読める時代ですが、ぜひ、紙を一枚一枚めくることの気持ちよさや、安心感を味わってほしいです。

読書が習慣として根付くためには、お話をきくのがたのしいこと。本を読むのが楽しいことだという体験をもつことが大切です。

幼児期であれば、夜寝る前にお父さん、お母さんに読んでもらうのは、毎日の楽しみですし、のちに、本を読むのが好きな子に育っていくのだと思います。

読んであげてください。