2023.8.10
露木先生の理科教室が行われました。
今日の授業は「鉱物」
前回の「砂鉄」の授業で、子どもたちは、砂の中に石英や砂鉄が含まれていることを学びました。
いろいろな形の厚紙が各テーブルごとに渡されます。
そこに上からそっと砂を落としていきます。
どのような形の「砂山」ができるのでしょうか。
子どもたちは、まず予想を立てます。
そして、実際にやってみて、自分の考えと実験結果との違いに驚きます。
実際やってみるというのと、知識だけで知っているというのは、わかった時の感動が違うのでしょう。
子どもたちの目がかがやきます。
石英をつかった火起こしや、先生の珍しい鉱物を触った経験が、
子どもたちの知りたいを膨らませていったと思います。
授業が終わり、先生が子どもたちに「戦争」について伝えます。
その時の全文
1945年、8月9日、アメリカのB29は北九州市小倉の上空を飛んでいました。私の両親は、すぐそばの若松というところに住んでいて、もし小倉に原子爆弾が落ちていたら、私は生まれていなかったんだね。その日、小倉の上空は天気が悪くて下の様子が見えなくて、どこに落としていいかわからなかったらしいですね。だから、予定を急遽変更して長崎に行ったのです。
長崎に、原爆が落とされた。その前には広島で。それまで、人を殺す原子爆弾は落とされたことがなかった。そして、それ以降も戦争に原子爆弾をつかった国は無かったのです。
私は、自分が生まれてきたことは奇跡のようなことだと思っています。そうか、天気が悪かったから私は生き、長崎では10万人近くの人がいっぺんに亡くなってしまった。
なんでもないと思っていたこと、みんなで勉強したり、自然観察したり、みんなで美味しいごはんを食べたり、話をしたりー。そういう喜びはあの日の「天気」のおかげだったんだ、という気持ちと、亡くなられた方への申し訳なさ、が私にはあるのです。
皆さんは長野県にある「無言館」という美術館を知っていますか。そこに何が展示されているかというと、もう終戦間際、日本は負けることがわかっているのに、若い人たちは兵隊さんになって、戦争に行かされてしまった。戦場に行ったら死ぬとわかっている。本当は行きたくない。死にたくない。
その当時、東京美術大学や東京芸大など、絵を描くために大学に行っていた学生さんたちまでもが兵隊さんにならなければいけなかった。自分はこれから好きな絵を描いて、本当に楽しく生きていきたいと思っていた。そんな学生さんたちがたくさん死んでしまったのです。
そしてその学生さんたちが、学生時代に描いた絵を、それぞれの遺族の方が家に持って帰って飾っていた。けれど悲しいんだよね。お父さんお母さんも年をとってきて、いつまでも置いておけなくなった。そういう人たちの絵を丹念に集めて美術館ができたのです。
二度とこんな悲しい戦争をこの世の中から、日本からなくしてほしいという願いがこの美術館には込められています。
本当に悲しいですよ。例えばみんなが大人になって、勉強してこれからこういうことをしたいって思うときに、「人殺し」に行きなさいと言われる。そういう悔しさとか悲しさとかがわかりますか。お父さんお母さんがどれだけ悲しむか。もし自分に子どもがいたら、子どもがどれだけ悲しむか。
戦争というのは、絶対やってはいけないのです。絶対に。
正しい戦争なんて絶対ないのです。
私は37年間、教師をやって、子どもたちに、戦争は絶対やってはいけないことだと伝えてきたつもりです。
たまに、戦車や鉄砲をみてかっこいいという人がいる。何にもかっこよくないのです。
鉄砲の先には、人がいる。人の向こうには家族がいる。家族の向こうには友達がいる。そして銃口をむけられたとき、銃口の先には自分がいる。自分の後ろには家族がいる。自分の後ろには子どもがいる。
理由もなく、人が人を殺したり、殺されたり、そんなことがあってはいけない。
戦争になってしまったら、もう引き返せない。
戦争になる前に、どうにかして解決をしていくような、そういうことができる人が本当に頭のいい人なのです。
みんなは、よい勉強をして、決して戦争がおきないようにしていってほしいと、心から願います。