わたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭をなやませている親にとっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。
美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激・・・(中略)・・人間を超えた存在を認識し、おそれ、驚嘆する感性をはぐくみ強めていくことには、どのような意義があるのでしょうか。
自然界を探検することは、貴重な子ども時代をすごす愉快で楽しい方法のひとつにすぎないのでしょうか。
それとも、もっと深いなにかがあるのでしょうか。
わたしはそのなかに、永続的で意義深いなにかがあると信じています。
地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。
たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通ずる小道を見つけだすことができると信じます。
地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をもちつづけることができるでしょう。
(レイチェル カーソン「センス・オブ・ワンダー」より)
あるとき、海をみていた一人の男の子が
「波ってなにからできているんだろう。」
と不思議そうにつぶやきました。
「地球の心臓がドクンドクンって鼓動しているみたいだね。
大きくなってもし、わかったら教えてね。」
大きくなって・・子ども時代が永遠と続く、そんな時間軸で子どもたちは今を生きているようです。
子ども時代に、自然の美しさに感動し、自然の不思議に思いをはせ、初めての経験に心躍らす
その瞬間を大切にしたい。
(大山山頂、樹氷の木々の間からあがる日の出を見て)
大人も自然の美しさに出会ったとき、心の底から感動がわきあがります。