“星を見る 【学童・年長】 “

“2020.12.21
「397年ぶりに木星と土星が大接近」原っぱで学童さんたちは天体望遠鏡を覗きます。
初めての天体望遠鏡は焦点を合わせるのが大変です。
なぜなら、合わせても、合わせても、月も土星も木星も動いてしまうのです。
それでも、月の表面が凸凹と見えるのに子どもたちは、長い列を作って順番を待ちます。
月の南西の方向に木星と土星が見えました。(肉眼でも確認できるのですが。)
「見えた。みえた。」「確かに二つの星がある。」
「土星の輪っかが見えるような気がする。」

「いつもはあそこには、一つしか星がないのに今日は二つある。」
いつも見上げる空が、今日は特別に感じます。
太陽が沈み、あたりがだんだん暗くなってくると、それまで見えなかった星が一つ二つと瞬き始めます。
「あれはシリウスかな。」「さそり座が出てくるとオリオン座が隠れちゃうんだよね。」
星を指さしながら、心を躍らせます。
天体写真家の林完次の書籍には星への少年時代の興味について、このように書かれていました。
初めて天体望遠鏡を買ったときに、月が大きく見えた。それを両親に見せてあげたいと思って呼びに行ったら、さっきまで望遠鏡の視野に写っていた月がまったく見えなくなってしまっていました。
ちゃんと月が見える位置で固定したはずなのに、おかしいな。
誰かが、望遠鏡を動かしたに違いない。
父は種明かしはその時はしてくれませんでした。
幼い僕にはわからなかった。地球が自転することにより、月が東から西へ動いていることが。
あとで知ったのですが、父はもともと学校の先生をしていたそうです。もし答えをすぐに教えてもらってしまっていたら、「へえ。そうなんだ」と気が済んでしまっていたかもしれません。種明かしをされなかったせいで、このときのことは僕のこころの片隅にずっと引っかかっていました。
不思議だなあと思う気持ちが、星空への気持ちをかきたててくれたのです。
星が見えているところが天の天井で、そこが宇宙の果てだとしたら、その向こうはいったいどうなっているのだろう。
僕も宇宙のはてのその向こう側を知りたい。みえないものをみてみたい。
いろんな学問がありますが、だいたい、みんな、手にとって学ぶことができますよね。
でも天文学は手の届かないことを学ぼうとしている。初めて望遠鏡をのぞいたとき、肉眼では見ることのできない世界がそこにありました。でも、その向こうにさらにまだみえていない世界が広がっているわけです。その果てしなさに、少年時代の僕はすっかり魅せられてしまったのです。
月の満ち欠けさえ、仕組みがわからないから不思議でしょうがない。きっと大昔の人も、そんな気持ちで星空をみあげていたんじゃないか。わからないから、惹かれるのです。
知識があるから当たり前に思って疑いもしないけど、季節ごとに同じ星座がそこにあること、星たちが一晩のうちに空をめぐること、どれをとっても本当は不思議なことばかりです。「わかった」と思った瞬間に、消えてしまうものがある。それを忘れたくない。

すぐに答えを出さず、その子の不思議と思う気持ちを大切にする。それはのちに自分で知りたいという探究心を育てていくに違いありません。

今日見た、土星と木星の大接近は、きっと子どもたちの記憶と心に残ったことと思います。どうして、天体望遠鏡から月や星たちがいなくなってしまうかも、いつかわかる日が来るのでしょう。。

冬至のころから二月くらいまでの星空は最高です。厳寒の日の夜空は深く青く澄んでいて、星がしまって見えます。木枯らしがスモックを吹き払ってくれるのです。空気がゆらめいているから、星の瞬きが素晴らしく、いつもは淡い冬の天の川が、オリオン座の脇から流れ落ちる滝のように見え、空に躍動感があるそうです。(林完次さんの書籍 参照)

学童さん、また天体観測に行けると良いですね。