お手伝い

2019.1.2
脳の窓と言われる目と、突き出た大脳と言われる指先との合一ができるようになる。
その延長線上に、年長になって針に糸を通せるようになる。上手に包丁が使えるようになる。それこそ道具を使用する人間ならではの能力です。
だからと言って全身を使うことをおろそかにして、指先だけを使うことにばかり目がいきすぎるのは、あまり意味はないように思います。
ただ、昔と今と生活自体が変化していることに目を向ける必要はあるように思います。昔は大人が雑巾を子どもたちの横で縫っていたり、ものを作るということがもっと身近にあったように思うのです。子どもは大人のやっていることに興味をもち、じっと見ています。見ていた子どもたちは自分が習ったわけではないのに、やらせてみるとまるで教えられたかのように上手にできるのです。
昔の不便さが子どもを育てていたように思うのです。なんでもお金を出せば手に入れることのできる時代です。便利になりました。安全になりました。それと引き換えに失われてしまったものも大きいように思います。
いつか保護者の方からこんな話をいただきました。
「最近は子どもたちが何もしなくたって生活がまわっていくのよね。子どもたちが頼られることが本当に少ないのですよね。」
家族からも頼られない。自分の存在価値さえも感じることができない子どもが本当に増えていると先日の講習会でも話に上がっていたそうです。
そういう時代だからこそ、家庭や保育の現場ではもっと日常に目を向けあえて不便さを子どもに与えるということを心がけていきたいと思います。そして子どもたちを頼りにしていきたいです。
先日、上手に箒で保育室を履く小学生の姿を見かけました。順番に順番に、箒の先を流してしまうのではなく、しっかりと止めて。賢さと立ち居振る舞いの美しさを見た気がしました。最後までやり終える。これが今どんなに難しいことか。
「自発的に、黙々と働けることはいつか自分の幸せと、人の幸せのために尽くすことができる人になるでしょう。」いつか聞いたこの言葉を思い出します。


大人がやっている床磨き、さっそくお手伝いにやってきます。
「上手だね。」「ありがとう。」

12月28日この日はみんなで大掃除でした。
自分たちの使っている椅子を蜜蝋で磨きます。



年長さんたちは雑巾縫いをはじめました。